1/87ナローゲージの大きなレイアウト 駿遠線

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 静岡県 遠州灘に沿って走る駿遠線。
    多分ナローでは日本最大級のレイアウト。懐かしい日本の景色が現れます。 昭和51年に制作

Комментарии • 16

  • @kou7105
    @kou7105 10 месяцев назад +2

    母親の実家が駿遠線の近くで帰省のおりには新(しゃ)袋井駅から何回も乗った記憶が合ってなつかしいです。昭和40年前後のことですね。駿遠線とはいわすに軽便とだけ言ってました。自分が大学生のころには廃線になっていたので子供の頃の記憶だけです。

  • @nebulae.c.4277
    @nebulae.c.4277 4 месяца назад +1

    子供の頃、本屋で偶然手に取ったTMSにこれが掲載されていて、それ以来味噌汁軽便鉄道模型の虜になりました
    それまで知っていた鉄道模型のレイアウトと称するもののどれよりも実感的で、ここまで出来るものなのかと感嘆したものです

  • @user-attyonburike
    @user-attyonburike 3 года назад +4

    このレイアウトを製作されたご本人ですか????。私もまだ愛知県在住の小学生当時、TMSで見て衝撃を受け、保育社カラーブックスの「軽便鉄道」とこの作品をきっかけに大の駿遠線好きになったと言っても過言ではありません。特に、生垣の間から遮断機のない踏切の路上に顔を出す蒙古の戦車の写真に心を奪われました(実際の駿遠線の踏切には警報機も遮断機もあったという事実をのちに知って逆に驚いたものですが)。この街並みは住吉の街並みがモデルだったんですね。実際に駅があったのは片岡ですが、レイアウト全体としては吉田付近のイメージだったんですね。川やそれに架かる橋。砂気の多い海岸沿いなど、このレイアウトを知った昭和50年代の榛南地域にはまだそこかしこに当時の雰囲気が残っていたものですが、今はさすがに薄れてしまいました。のちのTMSで新作が受賞されていて、このレイアウトを解体して建物を再利用したと紹介されていた時には残念に思ったものです。

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  2 года назад +3

      作った本人です。 住吉の近くで生まれました。育ったのは遠くですが、夏休みの度にこの辺りに行き、それがレイアウト製作の原動力になりました。

  • @reopyon301
    @reopyon301 3 года назад +6

    古いTMSは処分しましたが、このレイアウトが掲載された号は残しています。建物配置が素晴らしいですね。まるで絵画のような、生きた空気感のある名作レイアウトだと思います。

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  2 года назад +1

      ナローとは思えない大きなスペースでゆったりとした景色にしたのがよかったのでしょう。 私の思う軽便は山岳鉄道ではなく、平野の中をゆったり走る鉄道です。

  • @zhilang_c1195
    @zhilang_c1195 4 года назад +4

    まさかRUclipsでお目にかかれるとは🚃✨😃
    このレイアウト掲載のTMS持ってます📕
    記事も何度も読ませていただきましたー😃
    廃線してたのですね🚃💦残念😭
    でもワクワクドキドキをありがとうございます😊

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  4 года назад +2

      1980年のTMSですよ。よく保存しておかれましてね。 とっくに廃線です、でも自分としては気に入っていた景色ですので、見ていただいている人がおられて嬉しいです。

  • @user-lo5ku3wf8b
    @user-lo5ku3wf8b 3 года назад +3

    懐かしい。TMSで発表されたレイアウトの中でもお気に入りのレイアウトでした。

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  2 года назад +1

      お気に入りと言われると嬉しいです。 ありがとう。

  • @kikkorosandayo
    @kikkorosandayo 3 года назад +1

    おお、懐かしい。TMSは380号から買い始めてました。これは雪の駅の表紙のやつでしたね。大人っていいなぁーお金も技術もあって、と思って見てました(笑 ナローゲージ作りたかったけど小遣いも少なく、本蓮沼のエコーモデルのウインドウをずっと眺めてた思い出があります。

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  2 года назад +1

      これを作った頃はお金もなく、車両はほとんどペーパーの自作です。

  • @user-lo5ku3wf8b
    @user-lo5ku3wf8b 3 года назад +1

    懐かしい!TMSな発表されたレイアウトの中でお気に入りの一つでした。鉄コレナローを購入を機にジオラマを作りたいと思い参考にさせて頂きます。ナローゲージでゆったりした線路配置が当時印象深かったです。

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  2 года назад +1

      これだけ広いと一周回ってくるのにとんでもなく時間がかかります。 大きすぎるのも考えものですが、景色をゆったりできたのはとてもよかったです。

  • @user-tf9ct9xk8h
    @user-tf9ct9xk8h 2 года назад +1

    私は乗り鉄や鉄道模型もしている者です。
     実は私もまだ小学校高学年か中学1年生あたりにNゲージから始めて、鉄道模型雑誌TMSなどを買うようになり、ナローゲージモデルを知ることになり、始めかけましたが、当時は乗工社か珊瑚模型の1/87スケールで真鍮製金属のキットで(当然、当時はハンダ付けの経験すらなく)しかなく、少量のほとんど出回らない、乗工社ショールームで販売か関東地方の有名模型店あたりしか売られていないメーカー完成品か大阪府高槻市にあったミカド模型(雑誌TMSの広告にあり、確か今はもうない)で完成品が手に入ったはずで、年齢的には日常のお小遣いや正月のお年玉の貯金ではなかなか買えず、また家庭も貧乏ぎみで、Nゲージの関水金属(せきすいきんぞく:現在は㈱カトー)のD51蒸気機関車の一次初期製品5500円をしかも親父から買ってもらうのが、精一杯で、頸城鉄道のホジ3などは、完成品が2万円もして、到底親にねだることなどはできませんでした。
     しかし、線路はNゲージ線路でも、お座敷運転なら代用できるというメリットくらいならあり、渋くてローカル色が、当時の国鉄や地方私鉄より軽便鉄道の地方私鉄のほうが、よりいっそう味わい深くて、独特な魅力に引き込まれていました。
     その頃に貴方の桃山鉄道駿遠線の記事や思川鉄道のナローゲージレイアウトの記事がTMSで発表されて、その内容の実感的な作品にとても引き込まれました。
     しかし当時、私は私立中学の進学校に入り勉強がやはりきびしく(中学生で場合によっては高校レベルの教育!)、乗工社のキットのハンダ付けにチャレンジしましたが、一番自分にとっては高価な雨宮5tのBタンク蒸気機関車の組み立てに下回りで失敗し、大ショックだったことや(当時の中学一年あたりで、キット定価確か11000円だったかもするキットを有名模型店まで電車などで買いに行き、京都の清水の舞台から飛び降りるつもりで買った結果の苦労して組み立てた結果の大ショック!)など子供ながら乗工社に失望するなどした挙げ句、そのうち鉄道模型はできなくなって、またはやらなくなってしまいました。
     しかし、貴方のこの鉄道模型レイアウトは子供ながらにしても、素晴らしい作品で感銘を受け、いつまでも、わたくしは趣味人として覚えておりました。
     いつかは、貴方のレイアウトを真似て同じようなものを作りたいと思いつつ、今はまだ結婚が遅れてます一人暮らしのまあまあな年齢のオトコになってやっております!
     TMSのこの記事のあとに、わたくしが高校生の頃に雑誌「鉄道ファン」に高井薫平(たかいくんぺい)さんという人の記事で「田舎電車、地方私鉄、それから・・〜昭和の地方私鉄を訪ねて〜」というような一連の連載記事があり、その中で駿遠線の実物の当時の鉄道を訪問したレポート記事があり、実物の風景の優れた臨場感あふれる文章表現と白黒ではあるが写真がある記事に、駿遠線の当時の魅力を感じて、これまた今はなき駿遠線の亡霊にとりつかれたかのような感じで、魅了されてぞっこんになっていたことを思い出します。
     生まれた年代が違うため、残念でしたが、ぜひ実際の当時の鉄道にタイムマシーンを使ってでも、(「ドラえも〜ん!来てちょうだい!」)乗って風景などやその土地まで味わいたかった鉄道でした。
     しかし何年か以前には、藤枝新町でしたかに残ってます駅舎や遠州神戸(「かんど」、という)駅舎がまだ残っていた頃に、私の乗り鉄旅ついでに立ち寄って見て来たことありますが、当時の雰囲気はほとんど残ってなく、あまりに時代の移り変わりに少々落胆して自宅まで帰ってきたこともありました。
     話しを戻して、やはり桃山鉄道の駿遠線も時代の波には勝てず、廃線になってしまっていたんですね!
     実物と同様の模型鉄道での廃線式も泣かせます!
     「駿遠線よ、永遠なれ!」
    しかし、私たちの心の中ではいつまでも走り続けることでしょう!
     またそして会いたくなったら、あくまで模型上の話しですが、手間がかかれどレイアウトを製作する手や郷土資料館などに行く手もありますしね。
     そして近年では平田邦彦さんという人が、駿遠線レイアウトをセクションレイアウトで作成した記事を模型雑誌で見かけましたが、この方も学生時代は駿遠線の近くにお住まいで今は高山市に住んでおられるようですよ!
     何か雑誌などでは、レイアウトで駿遠線名物のあの大井川の木橋の鉄道橋もうまく再現したのを見かけましたし、新藤枝駅も旧時代の駅舎が短く切り詰められる前でジオラマ再現したものを鉄道模型雑誌で見かけてます。
     もし、ご興味ありましたら、貴方が平田様とコンタクトをお取りになられて、平田様とお会いして、模型のジオラマ(セクションレイアウト)や車両を見せていただかれては、どうでしょうか?
     お互いに話しも盛り上がり楽しい時間をお二人とも共有できるのでは、ないでしょうか?
     コメントが長くなりました。
    私のお付き合いくださりありがとうございました。
     私のコメントが参考になりましたら、幸いです。
     それでは失礼します。(終わり)

    • @fieldriverm4569
      @fieldriverm4569  2 года назад +2

      あはっは、長いコメントありがとうございます。 それほどこのレイアウトが記憶に残ったということでしょうか。 誰にでも色々な思い出はあるし、長い人生、私も次々と違う景色のレイアウトを作っています。